私は、昔若さに任せて色んな職についてお金をもらっていました。稼ぐこと、お金とは、その本質が分からずいたずらに生活の為ながら体当たりのみで働いてきました。
やりたくないことばかりでした。
しかし、その実体が何なのかさっぱり分からず、時にはカードローンに頼り切った生活に流れてみたり、支払いを無視し、督促の手紙も何度送られてきたか分かりません。家の鍵も替えられそうになったり。すごい場所に住んで生活環境はみるみる下げられるところまで下げてみました。
上京と同時に専門学校でこさえた学費というローン、奨学金を数百万。歳も18くらいでそのお金で遊んでしまい親に無心する始末。
遠く離れてもまだまだ親に頼っていたのですね。挙句故郷に帰りたいと言ったり本当に甘えていました。
しかし、自分の行動に悩み果てもうこれから親に無心したり、頼るのは一切やめようと思うことがあった。そして何事も長続きしない私が今日まで守れていたのです。特に意識はしていませんでしたが15年ほどが経った今思えばそうだなと。
自己解決しようと思ったのでしょう、そうなれば意識や考え、アイデアは生まれてくるものなのですね。18そこそこでつかみどころのない世の中であり、困惑していました。
親も分かっていませんし、世の中の仕組みすら解明しようともしていないので聞くこともできない私は家の中では困惑の中にあり、家を出ること、そして幼いころから身についてた今までの事の書き換えが必要だと何となく思っていました。
つかみどころのない世の中でもお金は生活するうえで必要でした、いや、お金が何なのか分からないゆえにつかみどころがなかったとも言えます。
支払督促の手紙が私と世の中を関係付ける唯一の手がかりでした。
自暴自棄というのでしょうね、私からすると混沌としていてよく分からないから借金にお酒に、堕落を好んでやりました。まだ生きているので遊びでしたが、当時周囲の人からすると理解できなかった人間だったでしょう。
ひとり無気力に陥りそうになった時、あらゆる失敗に好んで進む、そうすることでやりくりしてきた気がします。すべては成功なのです。失敗することが目的なのですから。
これを人に説明しても「なんで失敗する事が分かってる事をやる必要があるの?」無意味のような私の行動に反応のあった数少ない意見でしたが、おかしくて笑ってしまいますw
それも若さゆえに取り返しのつく事も分かっていました、だから急いでいたのです。若さの特権となんとなく私は考えてました。
18まで本を読まなかった私は色んな本を読むようになりました。一人になる時間が多くなったからです。それでも現在と比べると圧倒的に少ない量ですが。
体当たりで動かずにはいられなかったのですが、本当に回り道でしたね。本などの情報が答えを教えてくれました。
お金は絶対的な価値ではないが、すでに絶対的な価値があると思っている人たちの中では絶対的な価値で動くものと思わされているもの。そう思っている人が多いと都合の良い人たちが多い世の中であるという事。
もともとお金は価値があるものとものとの交換の道具である。
(金)ゴールドが出てくると話はややこしくなるが、もともとゴールドの預かり証が流通してしまったことが混乱の始まりである。裏付けのないものである預かり証が絶対的な価値があると思い込んでいる間はあるのだということ。
絶対的な価値であると思い込んでいたからこそ私には訳が分からなかった。また絶対的な価値という言葉(お金)には裏付けがないものであり、もともと価値と価値との交換の道具という概念があって理解できるワンセットにて把握することが理解には必要でした。
それを知り、お金とは適切な距離をとらざるを得ないものということ。
勝手に幻をお金に持たせていたということです。
一方通行であったお金という「絶対的なもの」は本来価値と価値との「交換の道具」であったという知識により行き来するようになり初めて理解でき、流通している物理的な紙(お金)はかなり曖昧であり価値があると思えている人との間では絶対的価値があり、そうでない本来の意味を理解している人にとっては常に一時的な相対的(価値と交換できるらしい)概念に見えるという結論になった。
「買う」という言葉はおかしいよね、常に「交換」という言葉で意識しはじめたらサラリーでお金をもらってこれで例えばパンと交換しようと考えていたら、
自分の価値との交換ってあの時に費やした時間じゃねぇか。
と、ふと寂しくなるね。考え方を正しくすると「交換」という言葉から価値を生み出したいという欲求も湧いてくるかもしれない。
種をまいて生み出すというレバレッジを効かす。仕込むという事には一定の方法がある。「道」ですね。それには知識や経験がいります。
またそこで生み出したものと「交換」できるものがあるかもしれない、それが紙幣と交換する方法もあるかもしれない。そうでないマネタイズしないものかもしれない。それもその「道」次第であるということになる。
世の中を把握する唯一の手がかりであった督促状。かなり距離はあるがこれを解く通貨発行権というもの、ここにたどり着いた「道」は世の中というどうしようもなく抽象的な視点で捉えようとした結果かもしれない。世界からはとってもちっぽけな小さな存在である私。世の中はほったらかしのようであった私を追いかけた督促状。とても身近なところから始まったけどその「道」は求め続ければたどり着く。大げさだが、知識はひらけるという体感でした。
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