前回病院から自宅に戻ったところを書きました。
ここから自宅から市の被災者用宿泊所という施設を利用する経緯を書きます。
退院をし、自宅に戻ると改めて結構火の手が上がったのだと実感。
もともと物置にしていた部屋を取っ払って一つにしたこともあり、荷物がとても多く雑多な感じになっていたのも変えなくてはと思いました。
奥のソファーに座り、フーっとため息をつき。電気も止まって、ガスももちろん使えないので、ここにいても仕方ないので入院中に大家さんが案内してくれた市の宿泊所の利用を教えられていましたので連絡してみようかと考えました。
大家さんは市の職員の仕事に携わっていたようで、知らなかったらもっと途方にくれていたでしょう。ありがとう大家さん。
それまで知り合いの自宅に泊まらせてもらうことにさせてもらいました。
細かい順序まで覚えてないですが、火災保険会社に連絡。
まず鑑定人という人が家に来て被害の状況や、家財に対しての被害の確認、部屋の損傷具合を写真に収めて行きました。今回は大変なことになりましたねと気使いの言葉をかけてくれました。なりよりご無事で良かったと。
鑑定人が来る前に会社の研修で東北の方へ2週間ほど行くことになってたのもあり結構間が空きました。
その前に市の宿泊所でしたね。
宿泊所は普段は自治体の寄り合いのような会で使用されているみたいでした。実際手続きに行き最大2週間利用できるとのことで、タオルなどの災害用の道具も一式渡されました、たまたま自宅からも近く、都合が良かった。
この時市で見舞金などの制度もあるかと聞きましたが、今回のケースでは適用外だそう。布団も用意され何不自由はしませんでした。
退職前の会社にも事情を説明しここでも見舞金制度はあるかと社長に聞いたところ分からないとのこと。自宅が火事になるという稀なケースのため、わからないのは無理ありませんね。後に制度が存在する事が分かったので、罹災証明書を提出後被害の大きさで支払われるとのこと。
トヨタ系の福利厚生費を毎月支払っていたので当然の権利なのですが、さすが世界のトヨタで福利厚生の手厚さを実感しました。入院時の見舞金と言うかわからないけど入院日✕数千円の振込がありました。
そんなことで消防署からもらう罹災証明書が各方面で必要になってきました。
最初罹災証明書と聞いて聞き慣れないので何のことかわかりませんでした。
・罹災(りさい)証明書とは
各市区町村が災害の被害に遭われた方(罹災者)の申請によって、お住いの家屋の被害状況に応じて「全壊」「大規模半壊」「半壊」「一部損壊」等を認定し、これを証明するもの。
ということです。
これが支援を受けるために必要なので一度に5通とか複数枚もらっておくと再度もらいに行く手間が省けるので良いです。申請すれば何度も発行してもらう事は可能です。
私は「一部損壊」に当てはまると思います。
火災保険会社からも自ら家財に対する被害額を提示するために損壊、汚損などの被害程度を加え記す書類を書く必要がありました。
火災保険の家財に対する最高保証額は380万でした、この範囲内であれば保証しますという事。
この作業は結構大変でした。服などはほとんどススにまみれ捨てましたね。汚損がほとんどでしたが、パソコンなども一台動かなくなっていました。
ゴミの撤去ですが、市で被災者に対して無料で引き取ってくれる制度がありましたので利用しました。大分捨てられましたが、洗濯機はリサイクル法適用なので引き取れないとのことでした。このリサイクル法適用の費用も保険会社で賄えるそうでした。
2台小さな洗濯機があったけど、もう雑多な作業が多くてそのままにしましたが、今は役にたっています。
2週間最大、被災者宿泊所を利用しましたがその間、雪が積もり、アパートの住民の方へのお詫びのお手紙を書きながら過ごした日々は忘れられないですね。
保証や制度に関しても様々で沢山あるんだなと思いましたね、その中で過ごした日々と言っても言いすぎでない期間でしたから。
そしてお酒はやめようと思い、付き合いで仕方なく以外ではほとんど飲んでいません、転機になったと言えそうです。都合のいいきっかけにしました。
次回は保険会社の保険金支払までの事を公開しようと思います。
ではまた。
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