「働きたくない」「遊びたいからお金欲しい」新卒前その素直な意見

・身近な新卒予定者に聞いた就職前の意見

・社会に出るにはお金にまつわる知識が全くもって欠落している

・義務教育での知識は代替え習得可能な時代

・人生全体で見れば最低限お金の流れの知識を小さな頃から体感させなければならない

・お金は汚くない、理解が出来ないだけ

・高速技術革新の時代に必要な知識、情報の習得には時間という資産の確保

賃金を得る事より社会に与える効果、社会での役割を考える。

時間の切り売りとよく言われるサラリーマン、月給であっても時間で割れば自発的な責任感以外アルバイトと変わらない。

アルバイトとして雇用契約を結ぶ方に、

「普段は何か仕事してるのですか?」

と聞くと

「働いています、正社員です!」

と説明された。正社員ということがいかに社会的立場として適合であるかという意味として言われたような気がして私の親を思い出させた。なぜ正社員がおすすめなのかという論理や説明が無いのがなんとも頼りなかった。思考の停止である。

色んな人に自由と引き換えて仕事してないかと聞いてきたが、なんとも面倒くさそうだったw

たとえば一緒にお酒を飲んでいても仕事の話をものすごく嫌悪する人がいる。それは私の経験からも理解できる。私も明日の仕事というものに嫌気がさしていたころ、なぜ働くのかわからなかったころ、やらざるを得ないこととして体当たりでしかできなかったころ。

その理解、解明、納得がないままであったころであったと今は思う。

もちろん例外なく疑うことなく、悪気なくいる。雇われ働くものだ、みんなそうしてるんだ、だから周りに迷惑かけずにやらなきゃいけない。こんなプロパガンダ(政治的な宣伝)が染み付いている。

良く言えば真面目な国民が多い。疑いながら生きるのは辛く面倒。人は信じていたいものであるし。私も周りにいる方に愛着を持っていたいし、その身近な世界から出るならかなり孤独を感じるかもしれない。

そんな理屈に反抗できずにいるほど、普段の生活には強烈な臨場感がある。少しずつ疑いながら調べてみる、本を読む生活してきてもそれほど苦ではないはずであるが、影響を受けない環境づくりは基礎、土台である。

注目すべきワードは

「意識に上らない」

という言葉。気がついたり、言葉で表すことができないと理解ができない。

大学を卒業し、今年から新卒で働く子の話を聞くと、

「このまま働きたくない」

私は仕事内容に興味を持って就いた仕事に関して聞くと「仕事やだ」と会社の事業内容というものにはほとんど関心が無く、期待を持っていなかったり。

「出世はしたいです、働くのは嫌です」

と良く言えば意欲を持っている人もいる。ポジションの椅子に座れる確率と報酬には限りがあることは承知の上なのか、心配になる。相反する言葉だけど、素直ですねw

会社組織の成り立ちを考えられれば、自分の報酬などの理由も理解できる。物事の解体の知識が必要ということになる。理解した上での行動なら心は穏やかである。

でないと私のように時間と労力と金銭の大幅なロスを被ってしまう。失敗談で自分の経験のように身につけていくことも知識習得として心得ておいてほしい。

例外無く私の周辺ではお金の論理に縛られて自分の行動を縛っている。

でも初めて社会に出て自由なお金を稼げるという感覚が安易な方向へ向かってしまうのは当然。

私の親のような身近な人に説明できるような知識がない、または学校などで経済や、お金の生きた知識を学ばせないなどが原因としてはあるのは間違いない、なぜならば限定された環境から経済社会の枠組みを自ら取り出せる人の子はいないだろう。

実際社会に出て勤めてからでは時間がかかりすぎるうえに、身を固めてしまってからでは身動きが取れない、知識習得に時間を取れる環境や、労力を自ら用意しておくことが困難。

これがリスクと言わずなんと言えるのか。

学校教育での知識の習得はものすごく大事だが、偏り過ぎではないか、社会に独り立ちする時間の多さから考えれば基礎知識として少なくとも同時進行でなければならないはずだ。人生現在なら100年と言われる、その全体で捉えればその偏り方はとてもリスキーなのだ。

ハイリスク・ローリターン。これは私の目線から見ればそう見れる。目線は人それぞれから見れば異なる。

お金だけの話ではない。人生全体のバランスを崩しかねないのは多くの時間を取られる、時間という資源は生産に欠かせないもので時間の収奪は最も避けなければならない。

よく貧富関係なく平等に与えられた資産と言われる時間はその所以である。無為に消費してはならないし、そもそも多くの時間を確保している状況を持ってること。

職場ですぐ電話してくる人がいるがメールで要点を伝えるなど人の時間も尊重して奪うことをしないよう心がけている。片手も奪われるし作業も中断しなければならないから。組織の中では弱く、ねっとりとした人間関係は出来ないかもしれないが、効率や利益に結びつく事を優先していく為にも時間の節約は一人でもやっていかなければ今後の自分の為にならない。会社は利益を最大化する組織でなければならない。安心したいだけの居心地優先ならば退出すること。

2020年小学校から義務教育でプログラミング教育が導入される。

AI開発でIT人材が不足することが予想されており、国力としてプログラミング人材が欠かせないということであると思います。いわゆるプログラミング奴隷生産です。私もプログラミングは勉強します。それはそれで良いのですが、同じく経済、身近なお金にまつわる教育が施せないならばトップエリート以外は学校に行く必要さえない。さきほど言ったように人生の長さ、バランスから言ってもお金の基礎知識、実践は社会に出る前に仕込んでおくのがいいです。

そしてそこから自分は社会に出てどう自分のやりたいことをやりますか。その夢の実現を応援します。という学校でなくてはならない。

変わらないのであればハイリスク・ローリターンでなく、幼少期の時間を学校から切り離してローリスク・ローリターンぐらいの形を取っておいた方がいいだろう。それでも大量の時間が得られて自分の好きなことを自己責任で使う事を親が知識を持って子供に仕込んでおけば全体のリスクはかなり底上げされて健全化しているはずだと思うが。

今動画で学校授業で習うような科目は視聴出来ます。昔は塾などでこういう動画サービスがあり東進など説明を受けに行ったことがあります。今は無料動画で塾並みの詳しい解説が聞けます。学校で分からなくてもピンポイントで説明してくれます。楽な時代になりました。

学校授業より教えることに詳しいプロに任せたほうが学力を求めるなら良いですし、時短で反復して見ることで定着します。

技術のパワーで人間の生活を快適にしてきた、人間の代用を機械がしてきたのは昔からで洗濯機なんかもその一例ですね。川で水洗いっていつの時代かと思われそうですが生活の代用サービスを私たちは受け入れて来ました。

今雇用が奪われるだなんてことが盛んに言われていますが、まさかと思う分野にまで一般的な技術として普及してきていることと、そのスピードは加速してきているからだと思います。

今後私たちは単純な作業から解放されることを受け入れ、創造的な分野に特化し、自分がやりたい事を好きなだけやり、社会に与える機能としての価値を提供する存在になっていく、もうなっていると思い行動する事ができる。

その環境作りは知識を得ることです。つまらぬ影響を受けていると思ったらとにかく環境を整えることです。そこには影響があるという認識が必要ですが、一人という環境が楽しめるようになるのも慣れないと案外大変かもしれません。そういう認識も必要であり、多くの時間を確保することを第一優先し、生活を一つの経営とし、お金は無駄遣いをしないで資産に使ってゆっくりと時間を堪能していけば自然と豊かな人生になるはずです。

人生100年の時代でも、ゆっくり漕いで船酔いしないよう知識、情報を得ることで良好な視界、大きな視点で目的地に辿り着けるということです。

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